薄暮を控えた午後の風景  シューベルト

5月の始めに書いた曲を、また別の視点(聴点)から…

DGschubert.jpg

Schubert (1797-1828)
Impromptus D 899 (op. 90)
Impromptus D 935 (op. post. 142)
Krystian Zimerman (piano)
Deutsche Grammophon 423 612-2 (1990)

2000年をルーツとする、私のSchubert遍歴の始まりの曲です
それまでの「聴楽による気分の高揚」だけではこの趣味は長くは続くはずもなく
「音と音の溶け合いや、大気に吸い込まれるのを感じる快楽」があるのではないか?
聴楽における別のチャンネルの開拓という点で、結構大きな分岐点でした

ただ「即興曲」とだけズズン書かれて、当時は「今からこれを聴楽するのだ」と思うと
「これから先何が起こるのだろう」とか
「2500円損した…、にならないといいなぁ」とか
演奏開始、D899冒頭の第1曲の気難しい雰囲気にはちと閉口しましたが
主部に入ってからの微妙な和声の推移に…、心地良く酔いました

D899とか、D935とかって…
確かSchubertの生涯は、たったの31年だったのに
15才から書いても年に60曲は書かないといけない計算だなぁ
という風に、今回の両曲は、もう本当に最晩年の曲ですね

既にSchubertは、自身でも「人生の晩に近い午後」が見えていたのでしょうか
日はさしている、しかし、夕闇の気配が視界のどこかに準備されているような気持ち
風は穏やかで、この気分を邪魔するような何者もいない、平和そのもの…
しかし、どうしても取り除くことの不可能な、「終わりの気分」

私の愛するD.899の第3曲、変ト長調は
まだ、手に取った木の葉に、陽が柔らかく当たっているような優しい心地がしますが
もう一つ、愛すべきD.935の第2曲、変イ長調になると
陽の当たるSchubertの姿を見ると言っても、逆光になるというか
やや衰えた午後の日差しを受ける、彼の影が見えるような趣を感じます
「今自分に見えるこの森も何もかも、少しずつ暗転して行くようだ」…

「生きようともがく」と言うよりも
少しずつ暗く、色濃くなっていく視界に向かって静かに、お別れの手を振るような
聴楽する私の耳から入る情報が、脳内にそのような映像を放っています

こう思うと、何と「即興曲」というタイトルは
この音楽の包み込む心情に一致していることでしょう!

Zimermanのピアノは、もう本当に淡々と進めていますね
tempo等をあからさまに入れ換えることは全くなく
この何にも他の存在に心を惑わされないような音の進め方…

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Re: No title

学問的な音楽知識はないもので、自分の言葉で書くしかないですね
本当は、楽典の用語をとかを使いたい時もありますが
自分のものになっていない言葉は使えません

読書は、海外のものよりも国内の本に影響を受けているかも知れません

No title

音楽を…これまた詩のように…言葉で紡いでいく…
どれだけ聴いているかが伝わってきます。

何より表現していく語彙に…さぞ読書も続けてきたと感じます。
好きなものに向かうエネルギーは、何にも増して力強いですね。
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