個人的には第5、第6交響曲は「双子」だと思っています

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Prokofiev (1891-1953)
Symphony No. 6 in E flat minor, Op. 111
Gurzinich-Orchester Koln
Dmitij Kitajenko
Phoenix Edition 140 (2007)

名の知られた第5番、その後の第6番と…
第5番という枕詞がないとなかなか登場機会のない曲でしたが
近年、実演に触れる機会も増加中なのが嬉しいですね

第2次世界大戦とは切り離すことの不可能な曲です
しかし、Prokofievは、その様子を描いたとは考えにくい
彼の音楽の描写的な要素は、ほぼ舞台音楽でしか聴楽できません
直接的の描写よりも、むしろその局面に正面から立ち向かう
(または立ち向かわざるをえなかった)
実にいろいろな境遇の人間たちの心の中を抉ったのだと考えます

第1楽章は、不可解かつ強烈な音響の中を
美しい旋律や和声が通り抜ける、Prokofievの独壇場です
第1、第2主題は、平静を装いつつも
どうしても除去できない不安(戦争の災禍?)をどこかに抱きつつ
もがいている気分が抜けません
第2主題は、そのような当時の人々の目に映る身近な自然の姿でしょうか
戦いの業火に焼かれる運命を全く予感せず
無心に「そこにある」自然…

そのような自然や、その中に存在する人々を
第3主題が否応もなく巻き込んで行きます
ここは第1楽章中でも、心理的にtempoが急いて来るところで
心のどこかが息苦しくなるのを抑えられません
(音友社の解説中には「挽歌風の主題」とあったのが強く印象に残る)
今までは弦と管で主として進められて来た音楽は
ここで少しずつ金管楽器群の絶叫に割り込まれて行きます

展開部最大の盛り上がりは、正に地獄なのでしょう、が
ここでのProkofievの筆致は正に極度に冷静で
無表情に押し寄せて来る各種楽器の強音で充満しています

最近読んだある本で(戦争に参加した日本人の著書です)
戦闘中の人間が「もうこれは駄目だ」という時の表情は
「恐怖と怒りが大爆発している猫のような表情」になるとのことで
ここを読んだ時には、私もどうしようもなく目が潤んでしまいましたが
正にその瞬間がやって来る、そんな気持ちを音響が運んで来るのですね

この展開部の最後の部分は、主にHorn群が同じ音程の音を強弱させているだけ
その場に居合わせてしまった人間の心の荒廃が、聴楽する私に耳に
無理やりに捻じ込ませられて来るのですね…

各主題は再現部に入り、次々と回帰して来るのですが、それを収束するためなのか
混沌の中から力強さはないけれども、幅広くほの明るい和音が全奏で広がります
わずかに残った自然を見つめる人間の視界は、既に崩れそうに弱々しくなっている

楽章最後は長調(変ホ?)の響きの中に緩やかに消えて行きますが
しかし厳しい終わり方です。人間を取り巻く自然は僅かに残ったでしょう
でも、それは人間を慰めるために残ったのではないでしょう

何もかもなくなった身の回り、これからどうする…
戦火を免れたわずかな自然は人間をかばいもしないし、突き放しもしない
Prokofievは、ここで人間に対しては多少の助け舟を出しているような気がします
長くたなびく長調の和音、低く進行するピアノのパッセージ…、しばしの休息

(第2楽章以降も続きます、いつ書くかは未定ですけど(苦笑))

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