第9番の彼方へ拡がる世界   マーラー

音楽には、どうも「聴楽されるのに良い」タイミングがあるようです

SinopoliMahler6,10

マーラー Gustav Mahler (1860-1911)
交響曲第10番から第1楽章《アダージョ》
"Adagio" ~ Symphony No. 10 (1910/1924)
フィルハーモニア管弦楽団 Philharmonia Orchestra
ジュゼッペ・シノーポリ Giuseppe Sinopoli (1946-2001)
ドイツ・グラモフォン Deutsche Grammophon 423 082-2 (1987)
(中古:2012年11月、ディスクユニオン神保町にて購入)

この曲の初聴楽は1990年、アバド指揮ウィーン(DG)でした
この盤は今回と同じ第1楽章ののみで、音の記憶が全くありません
次はおそらく2001年、ラトル指揮ベルリン(EMI)で
これはクック版全曲で、第5楽章の大太鼓以外は、記憶ありません
全2度の聴楽体験は、別に演奏が悪いのではなく
私自身がこの曲に何かインパクトを受けるような年齢ではなかった
そういう風に考えています

23年間でやっと3回目の聴楽機会なんですが
「音と音の重なり、連なりを無心に楽しんでみよう」と
やっとここ数年でそんな気分に到達したように思えまして
聴楽前から何かワクワクした感じはありましたが…

いやもう本当に強烈な聴楽体験となりました
第9番から先なんてあるんだろうか、そんな考えすら陳腐になる
完全に別の、しかしそれまでの曲の世界の蓄積がなければ
全く到達することが不可能な世界が待っていたとはねぇ

個人的な印象では、殆どテンポが動かず
広大な基礎土台の上で大管弦楽が独白を続けて行く趣です
ハーモニーは、おそらく当時の音楽や人間の感覚の少し先を行くもので
(軽く50年以上は先に行っていると思う)
重さを感じつつ半音階的に浮遊しつつ進行していまして
非常にモノトーンな気がしなくもないのですが
わずかな温かさが耳に入って来続けていることはわかります
弦楽器の響きが全体に支配的ではあるものの
管、弦の区別すらこの楽章の世界では重要でないような気もするなぁ…

人間が生きる世界の葛藤は全て後ろに過ぎ去った
先には何があるのか見当もつかない、でも不思議に不安もない
そんな想像を絶するような、でも荒んでもいない光景
まさかこんなものを聴楽できるとは…
ちょっとマジ凄いよこの音楽☆

この不思議な仄暗い解放感
これは現実か、と本当にどこか隔絶された世界に来たのか
それを確かめようとしても、それも出来ない、不可能になってくる
ちょっとしたこの感情の動き
この辺りが、曲の4分の3くらいの所にある絶叫的な大音響なのかな…

シノーポリの演奏計画は、もう冒険だったでしょうね
楽員からも反対意見が出ていたんじゃないかなぁ
演奏時間が実に32分40秒☆
他の指揮者の盤だと大体25分前後に集中しているのに
規模的には第3交響曲の第1楽章に肩を並べていながら
中身は全く別の世界が展開されています

しかし、このテンポ設定のおかげで、微妙なハーモニーの推移や
マーラーの音響世界のとてつもない奥行きが愉しめるのでしょう
最後の音の後、ちょっと間、動けませんでして、エヘヘ
いやぁ「大演奏」でした
フィルハーモニアとシノーポリに心の中で大拍手です☆

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