楽器の出す「音」と「音楽」  ムソルグスキー

この曲の場合だと、私はRavel編を聴いた方が早く
Abbado盤(1981 DG)を、本当にとことんまで聴きこんだ記憶があります
17才の高校生の頃、もう30年近く前の話なんですけどね…
近年は、専らピアノの方に集中していて、「決定盤」を求めて試行錯誤中です

schirmermussorgsky.jpg
Mussorgsky (1839-1881)
Pictures at an Exhibition
Markus Schirmer (piano)
Tacet 132 (2005)

当然ながらpiano版の方は、一人で全曲を統御する都合のためか
盤によっては、極端なテンポの変化、自分的「ツボ」をことごとく外した録音を聴楽する中で
それなりの「ご贔屓」を得、現在は上記の盤になります。部分的な不満はあるものの
「決定盤を1枚決める」思考は、とても危険な発想だという最近の私の観点から
かなりの期間に渡り生き残る盤であることは確かな演奏です

ほんの一つの音の鳴り方が気に入らず、中古屋さんに行ってしまったり
そんな盤の何と多かった曲か、何故私はこの曲にそんなに厳しいのか
いろいろと考えてみたのですが、最初に書いた通り
管弦楽版を先に聴楽したのは大きな要因の一つだと思っています

管弦楽版が多人数の演奏の結果だという点は大きいですね
それによって、指揮者を含む個性の衝突は多少は薄まり
「音の渦」として納得せざるを得ない、という感触があります
この感覚からしても、独奏というのは異常な過酷さがあると思うのです

この盤の日本語レビューを何とか発見し、購入聴楽に至りましたが
技術的に何の不満があろう、という演奏です
詳細を知らないのですが、Tacetというレーベルは優秀録音を自負するらしいです
(HPにもマイクロフォンの写真が堂々とTopページを飾る。2010年6月13日現在)
個人的には、楽器固有の「楽音」の優秀さだけでなく
楽器全体が出す音を捉えているという点で、この録音は二重に優秀と感じます

アクションの動く微かな「ゴソッ」という音なのか
ペダルの機械的な作用を感じさせる「ゴソッ」かわからないのですが
空気の流れが、楽器の動きによって微妙に変化する
そんな状況を、マイクが拾っているような趣が伝わるのですね

ここには楽音のみが形成する「天上の音楽」ではなくて
一人の奏者が行う動作の結果としての、「生み出された音」があるのかなぁ…
上手く言葉で表せないのですがね
かと言って、人間の行う生々しい記録という感じではなく
Mussorgskyの書いた美しい記録も見事に再現されていると思います

終曲《キエフの大きな門》で、二度目の「コラール」の後
3連符の効果的な活用でから、煌くような瞬間を経る部分
プロムナードの主題に結びつくまでの箇所が、私は本当に大好きで
実はSchirmerは、この部分とプロムナードの繋ぎ目が
個人的にはクレッシェンドが大人しいかな、と思うものの
「たった1音による失望」がないという点を重視したいと思っています

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