森林浴的な音楽浴   R・シュトラウス

しかし、ここ数年のこの曲の聴楽機会は増えましたね
別にその、スペクタキュラーに浸りたいという訳でなく
何ていうのかな、曲の緻密な素晴らしさに目覚めたような、んな感じ


SinopoliAlpen.jpg

リヒャルト・シュトラウス Richard Strauss (1864-1949)
アルプス交響曲 Eine Alpensinfonie (1915)
シュターツカペレ・ドレスデン Staatskapelle Dresden
ジュゼッペ・シノーポリ Giuseppe Sinopoli (1946-2001)
ドイツ・グラモフォン Deutsche Grammophon 439 899-2 (1993)
(中古:2012年10月、ディスクユニオン御茶ノ水にて購入)

80~90、00年代の機会と言えば、カラヤン盤がほぼ唯一のもので
しかも、一度きりの聴楽でした
音は凄い瞬間もあったけど、特に感動もしなかった
それが正直な気分でしたね
(カラヤンの責任ではなく、私の感性が幼かっただけです)
よく昔の本に載っていた「底の浅い音楽」
この書き方に乗せられていたような感じも強くしますが
それがこの2年間くらいに、かなりの頻度です
(かなりと言っても5回くらいなんですが)

きちんと聴楽姿勢を整えて味わってみようとすれば
とにかくこの曲は、聴楽子に退屈させないような配慮が行き届いていて
登山の主題が轟然と鳴る瞬間や、滝の場面のキラキラした空間
山頂での大歓喜に、嵐の時のサンダーマシン…
これらの特徴を「まずは最初に」聴楽し、それを乗り越えた先に本当の楽しさがある
そんな気分に、今はさせてもらっています

確かに描写的であって、そんなのは当たり前のことです
じゃなかったら、この音楽って一体何?ということになってしまう
登山に関わりあう「自分」に音が密着している様相
山に登り、山頂に身体を休めて、そして下山して行く
そうしている間にも人は心の中にいろいろなものを考えているはず
「楽しいこと」とか「仕事で嫌なことがあった」とかですね、ハハハ
そういう色々な記憶を持って登山をしている背景に
シュトラウスは見事な「音楽を貼りつけた」と思っている訳です

後半に、嵐も通り過ぎて以降の空気には、いつもジーンとしてしまう
疲れもしたけど、楽しかった山行の足取りの後は
日差しも弱まり、闇が次第に迫って来る…
音楽自体に少しずつ翳りが感じられて来るのも素晴らしい
(聴いていて、日の向きと日差しの度合いまで感じる気分がある)
そして真の闇となり、再び山々は人間を容易に寄せ付けない
畏怖すべきものとなり、音楽も終わる…

最初に聴楽した時に、どうして最後の華麗な大団円がやって来ない?
と思いもしたのですが、それが当時の私のレベルということで…エヘヘ

採り上げた盤はライブ録音で、緻密な細工はあるのでしょうが
シノーポリがとにかく朗々と管弦楽を鳴らしてくれるのが嬉しい
もう没後10年を経過しますが、つくづく惜しいと思います
(「山頂」での低音管楽器の吹奏音とか、雰囲気抜群と感じる)
この「鳴らし方」という点で、今更ながら私は最近彼にハマッております
だって、聴楽していて「シンプルに音を浴びることの楽しさ」なんてのは
なかなか味わえるもんじゃないんですから


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