午後5時12分頃の《映像》   ドビュッシー

…この微妙な音のグラデーションが…

28582_XL.jpg

Debussy (1862-1918)
Images, book ll
Hakon Austbo (piano)
SIMAX PSC 1250 (2003)

以前、聴楽記の中ではありませんが
Debussy の前奏曲は「穏やかに晴れた日曜日の
午後3時20分頃から聴楽したい」と書いた記憶があります
部屋の窓を開け、白が薄く混じった青空を眺めつつ
最初の音が響いて来るのを、気楽に、しかし息を潜めて待っている
なかなか贅沢な感じがして、微かにゾクゾクしてしまいますが…

最近では、Debussyの曲を聴楽するにふさわしい時刻として
やはり同じような状況で、午後5時12分頃も良い感じがするような…

午前とは違う色調を帯びた午後の日差しが少しずつ弱まり
夕刻の微妙な陽光と、夜の到来を近くに予感させる淡い青黒さ
そのような時間が醸し出す色の諧調の中に
やはり彼の音楽は、気づいたらゆらゆらと漂い込んでいる趣かな

この「映像」第2集の各3曲のタイトルは、なかなかに印象的で
「葉ずえを渡る鐘」「廃寺にかかる月」「金色の魚」…
自分の目に映る、4月の頭の何とも暖かい午後の眺めと
ピアノの微妙な響きが不思議な混ざり合いを演じます

しかし、この時期のDebussyのピアノ曲は
最近のJazzの即興演奏ともかなり被る部分がありますね
響きの重ね合わせ方は、実に精妙かつ大胆
もうこれ以上の微妙さはないと言わんばかり
計測可能の限界近い小さな時間差を完璧に擦り合わせたような雰囲気…
響きの曖昧さは、記譜の極度の精緻さと反比例してるような気もする

あるSF作家の言葉を思い出しました
「究極の発達を遂げたテクノロジーは、魔術と見分けがつかない」

Debussyの書いた音響は、人を寄せ付けない厳しさがあるかといえば
そんな感じにはなりにくいと思うことが多い
むしろ、吸い込まれるような感覚というのか
この気持ちの良さをずっと続けていたいと思考させるような気がします

聴楽側の安心感は、Austbo (ホーカン・アウストボ 1948-)の演出する
地に足のついた安定したテンポから来ているのでしょう
研ぎ澄まされたものとは違う充実を何とはなしに感じますし
静かで見事な時間を提供して貰っている喜びを得た気持ちにもなります


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ぺぇたぁさんへ

ドビュッシーを聴楽する場合に
なぜかその時間とか、あと天気を考える時はありますね
薄曇りとか、夕暮れに近い午後とか、どことなく曖昧で
何かドンピシャリなものはそぐわないというか
そんな気分になります

雨の日のドビュッシーだと
部屋のガラス越しに見る外の白っぽい眺めを想像しますね
自分で気ままに想像する楽しみがある気がします

ドビュッシー

quietplaceさん、はじめまして。ぺぇたぁと申します。
午後5時12分のドビュッシーですか、いいですね。
実は僕は雨の日のドビュッシーが好きです。
人それぞれだと思いますが、特定の時間や景色に
似合うというのがドビュッシーなんですかね?
僕も「吸い込まれるような感覚」「気持ちよさ」を
ドビュッシーに感じますよ♪
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