テンポと座右の銘盤の関係   J.S. バッハ

「いい時間」を得るために盤をプレーヤに載せる…、最高の愉しみです

CoppeyBach.jpg

Johann Sebastian Bach (1685-1750)
The Six Cello Suites
Marc Coppey (cello)
AEON AECD 0316 (2003)

以前にもチラッと書いた記憶があるのですが
組曲の第1番ト長調BWV1007の第1曲のポイントに関しては
「まずはTempoの安定」と書いていました(記事番号82, 09/03/2011)

その後、たまたまネットでの試聴の折
正にBWV1007-1での「Myツボどんピシャ」の演奏に遭遇しました
前述記事番号82のOstertag (Coviello)盤の演奏時間と比べても
数分の小曲とはいえ、約50秒もゆっくりしています (2:49)

このTempoに触れた時、珍しく非常に衝動的な気持ちになりました
まぁその「すぐにでも手に入れたい」という気分です
この当時は一時的に品切れの時期だったようですが
すぐに海外のAmazonで復活しているのを発見!

しかし、Tempoというのは不思議なものですね
思わず「おぉ」とか思う新譜の情報を得て
当然に、それを聴楽する時のことを想像する訳ですが
やはり、想像の中でも自分の好みの速度で音が鳴っているんですねぇ
少しでも理想のTempoと違う場合には
それは座右の銘盤とはなりにくい、厳しい点があるような…

この速度は、私なりの「バッハの世界に入る速度」のようです
遅い速いのどちらにしろこれより離れ過ぎてしまうと
ちょっと「世界」には入れない
「入れない」演奏がダメという訳じゃない
ただ、自分的に「これじゃない」と感じるだけなんですけどね
もうはっきりとそこに「どこか落ち着かない気分」が醸成される…
本当に趣味というのは気まぐれですな

こういう曖昧でありつつ厳しい関門を通り抜けた後に聴こえてくるのは
もうこの忙しい世の中で体験可能な中でも、最高の心地よさなんでしょう

どんな人にも「ついプレーヤ」に載せてしまう
そんな盤があると思いますが、私の場合には
なぜそれは「そんな盤」なのか、ちと今回考えてみた感じです

Marc Coppey (マルク・コッペイ 1969-)の演奏は
彼の他の盤でもそうなんですが、どういうわけか
峻厳さとか、強烈な熱気とは離れた所にあるような気がします
しかし、一貫した安定性である種の世界を創り出す
そういうことは、おそらくあるんでしょうね

物凄い喧騒からは遠く、完全な無音の間に近いが、静寂ではない
ほとんど黙っているけれど、時々話しかけて来られるような
でも、特にこちらから気の利いた返事をする必要もない安心感
これを求めて、時々どうしても手が伸びてしまう盤なのですね

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