20世紀の無伴奏って、やっぱこれだろうと思います
papavramiBartok.jpg
Bartok (1881-1945)
Sonata for Solo Violin
Tedi Papavrami (violin)
Aeon AECD 1101 (2008)

10年程前に、Naxos盤を頻回購入していた時期がありました
当時の私の聴楽は、近現代の管弦楽作品に傾斜しており
音楽史上の超有名作曲家の超有名作品を全く知らない状況でしたね

その頃、Internet上の掲示板において
日頃話す機会のなかったClassicalの話題をする環境が整って来ていました
いろいろな投稿に刺激されたのだと思いますが
てっとり早く多様な作品を聴楽する手段なんてないと思っていたところ
Naxos盤の存在を知ったのですね

当時大体790~890円という不思議な価格で販売されていまして
Bach, Haydn, Mozart, Beethoven, Chopin, Brahmsの作品は
有名どころは殆どNaxosに世話になったと言えます
今は全て中古屋さんに旅立たせた、それらの盤が
今の私のコレクションの基礎になっていると思うと
それはもう感慨深いものがあります

今回のバルトークも、かなりNaxosで世話になりました
この「無伴奏ヴァイオリンソナタ」は、意外にも初聴楽で「うむ」と感じました
それから何年か、…再び私のCD棚に今回のAeon盤が来朝しております

1944年(昭和19年)と言えば、もうBartokの最晩年と言っていいでしょう
名奏者Yehudi Menuhin (ユーディ・メニューイン 1916-1999)の委嘱ということです
最近の私は、楽曲成立の経緯に関心が強いんです
原因はよくわからないんですが、そういうことを調べることが愉しい
それだけはわかっています

全4楽章の構成です (全曲演奏時間 23:53)
1. Tempo di ciaconna (9:27)
2. Fuga : Risoluto, non troppo vivo (3:55)
3. Melodia : Adagio (6:18)
4. Presto (4:53)

ソナタと題名されていますが、じゃそれはどの楽章なのか?
第1楽章がそれらしいですが、それでもソナタ形式「的」ということらしい
Beethovenの時代に比較すると、作曲がなされた20世紀前半は
既に世の中が複雑になり過ぎる寸前といった時期かも知れません

ソナタは形式上の問題ではなく、既に「感情」の形式になっていたのかな
共通する気分を持った段落の連なりが、ある種の形式感を耳に与える
接合部の判然としない、しないが故に現代のソナタと言えるのではないか…
そう考えると、MahlerやShostakovichの交響曲も
とても聴楽しやすいということを、以前は修辞の上で理解したのみでしたが
今では、何かとても実感が高まって来ていると感じるのですねぇ

ということで、自由奔放なまでの第1楽章です
主題を強烈な気迫で分解展開して行く感じは正に20世紀のCiaccona!
BachのCiacconaの上に、時間と複雑怪奇な歴史を上乗せして
その果てに出てくる荒涼としているようで熱い音楽が噴き出す…

続いて、純粋な音の運動が感興を引き起こす第2楽章Fuga
歓喜とか悲嘆を思い切り蒸留した末に引き出されたような
究極の歌であるような第3楽章Melodia

正にBartokワールドを愉しませてくれた最後に
急激に物凄い駆け足になって音楽を締めくくる第4楽章Presto
この形の終わり方って、管弦楽のための協奏曲Sz.112と似ているような…
こういう小気味よい終わり方って
何かBartokが極太の毛筆を手に持って書きあげた文章の最後に
思い切り「。(まる。完っ!)」って書き込むような映像を想像してしまいます

Tedi Papavrami (テディ・パパヴラミ) の演奏は、なかなかの熱の籠りよう
息遣いや、弦を擦る音が非常によく聴楽できます
これだけの音の物語を現実の音として鳴らすには
これだけの労力がかかるというのがよくわかる録音です

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