第6交響曲の記憶(Part 2)  プロコフィエフ

この曲では、私が最も語りたい楽章です

prokokitaenko.jpg

Prokofiev (1891-1953)
Symphony No. 6 in E flat minor, Op. 111
Gurzinich-Orchester Koln
Dmitij Kitajenko
Phoenix Edition 140 (2007)

私が第6交響曲を「いいな」と思ったのは、第2楽章の魅力に打たれたからです
初の購入盤だった、Rozhdestvensky盤(LP)のジャケット裏の解説には
「チェレスタを伴う天才的な中間部が形作られ云々…」とありまして
「何!あのキラキラしたチェレスタが!」と色めき立ちましたが…

まぁ、ジャンルとしては「交響詩が最高!」なんて思っていた30年前でしたから
いきなり聴楽して「良かった」とはとても思えない状況でしたね

音楽は、音を楽しめりゃそれでいいや、という意見には勿論同意しますが
「多少は、その曲成立の背景を知っているに越したことはない」と思います
この曲なんかは、その最たるものなんじゃないかな
第2次大戦の終了直後に書かれた曲と考えると、想像は無限に広がります
自分なりの曲に対する推理や愉しい憶測、これこそ知的快楽なのかな…

この楽章の冒頭は低音主体の轟然とした音響に始まりますが
戦争の業火に焼き尽くされた、自分の生まれた街を心の中に描いてしまう
焼け落ちる我が家を網膜に無理やり刻まされている自分の心の中は
もしかしたら、同時に昔の甘い甘い記憶も映っているのかも知れません

そんな記憶を喚起するように流れる第1主題ですが
Prokofievで、こんなに長い旋律は珍しいんじゃないかな
この主題は、もう何かの意志を持った生物のように語りだしたら止まらない
人生の大事は、いろいろな感情の絡まった何とも形容もし難いものと思いますが
正にそれを表すかのような曲折に満ちた、しかも徹頭徹尾Prokofiev的旋律です
主題の結尾でtrumpetが朗々と吹く辺りからは
自分のそれまでの優しい平和の記憶が戦いの火で焼き尽くされるような
絶望の絶叫のように思えてなりません。聴楽時はいつも耳が潤んでしまう…

第2主題は、叫ぶのにも疲れ果て
心のどこかに広がる大きな自然を表すような旋律ですね
(自然なんて、戦争の合間には思い起こすこともなかったでしょう)
この楽章の主題は、どれもどこかに翳りがあって
儚い記憶を楽しんでも、厳しい現実に直面させられる運命を感じさせられて辛い…
(しかし見事な音楽だ)

この楽章は、現実の悲惨さから、主題を経る毎に
音楽の空気が少しずつ、現実の悲惨から、夢見る静けさへと滑り込むような
そんな救いを感じるんですね、私は…
最初に書いたチェレスタの登場は、もうこの世のものとは思えない
絡む楽器が、第1楽章で猛威を振るったホルンなのですが
ここでは、全く別の楽器のように優しく響きます

昼の戦闘も終わり、疲れ果てて夜の闇が来ると
人の心の中には、一瞬でも現実からの逃避を促すような指令が出るのかな…
そのような、やはり「天才的な」中間部分です

さて、楽章は徐々に沈静していくこれまでとは逆の経路で主題が回帰
耐え難い冒頭の混沌が全てを塗りこめてしまいますが
そのような結尾の後も音楽を続けたProkofievに拍手したい!

第1主題の変形を、Oboeが受け持ちますが
ここからが(1分にも満たないですが)、個人的には最も感激した部分です
一時の愚かさで始められた戦争で、散々に痛めつけられたとしても
そこからまた何かが始まるのだ、というか
市井の人々に宿った、「それでもなお夢見る気持ち」をリスペクトするような終結です

優しいOboeを支えるのは、中間部で出て来たチェレスタなのですから…
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